ポリタスTVお盆SP feat. 瀧波ユカリ DAY3: 《セックスについて語るときに私たちが語ること――あるいは、彼女たちがかつて通ってきた地獄をいかにして昇華させるかについて》
2024年8月30日(金) 01:32
動画の説明
※ この番組は2024年8月13日にZAIKOでライブ配信された有料配信のアーカイブとなります。 ==================== 今回のボンタスで唯一生放送となるこの企画。 初夏に行われたポリタスTVのレギュラー出演陣の懇親会で、今回出演するこの4人が揃い、誰からともなくセックスの話をし始め、「このテーマなら何時間でも話せる!」と盛り上がったことから実施が決定しました。 台本なし、司会進行なし、4人の赤裸々(?)なフリートークが展開されること請け合い。皆様ぜひリアルタイムで参加して番組を盛り上げていただければ幸いです。 [出演] 瀧波ユカリ(漫画家) キニマンス塚本ニキ(翻訳、通訳) 岡田麻沙(ライター) 福田和子(SRHRアクティビスト) [日時] 8/14(水)19:00 -
AIチャプター
瀧波ユカリ、キニマンス塚本ニキ、岡田麻沙、福田和子の4名がセックスという重層的なテーマについて語り合う
性的消費を避けるための服装選びや、過去の過酷な経験をいかにして昇華させていくかという問いに向き合う
「ガチでセックスを語る」という表現に潜むバイアスを検証し、企画の意図と表現への批判的視点を浮き彫りにする
肉体と身体の定義の違いを整理し、予測誤差がもたらす感覚や快感と痛みの境界線を探求する
バーチャル空間における身体感覚の変容や、デジタル空間特有の性的な問題について検討する
身体が単なる肉体として扱われる痛みや、相手のシグナルが伝わらないデジタル空間での身体性の乖離を詳述する
2000年代初頭のチャットセックスにおける共通言語の構築や、身体性の欠如を補完するロマンチズムを紐解く
ChatGPT等のAIによる性的リクエストの拒絶が、SRHR教育や表現のスティグマ化に与える影響を探る
女性同士のセックスにおけるグラデーションや、征服を目的とする男性的なモードとの対比を論じる
大谷明氏の知見に基づき、生殖を超えた同意と意図に基づくコミュニケーションとしてのセックスを再定義する
言葉によるコミュニケーションのその先にある、生命エネルギーを共有するという視点に注目する
「本番」という枠組みに縛られない概念の拡張を、平安時代の通い婚の歴史からも考察する
唐突なアプローチへの違和感から、前戯における適切な空気感と同意の形成がいかに重要かを説く
海外ドラマに見られる前戯のグラデーションと、日本のフィクションにおける唐突な展開の差を比較する
日本語のハイコンテクストな特性と、英語圏における明確な同意の必要性の違いを分析する
電気さえ消せばよいという無言の接近が、いかにして逃げられない恐怖を生むのかを問いかける
セックスにおけるムード作りの重要性と、人としてのつながりを深めるエネルギーの交換について語る
断られることへの心理的影響や、部屋の状態が示す自己開示のあり方について掘り下げる
お母さん的な役割への依存や、コミュニケーションを欠いた支配欲がもたらす歪みを指摘する
一方的な土俵で行われるセックスの危うさと、伊十の著作から見える男女の意識の乖離を提示する
社会的に構築される「男らしさ」の概念と、女性を征服することで自己のアイデンティティを確立しようとする心理的背景を探る
男性の性欲が持つ人工的な性質と、それに対応するように女性が培ってきた高度な対人感度および生存戦略の関係性を紐解く
「男になる」過程で共感性を放棄せざるを得ない痛みと、社会の捨て駒として機能させられる男性像が抱える葛藤に光を当てる
女性を従属物として扱う社会構造の中で、男への憧れや葛藤を抱く個人の経験から「男になる」ことの意味を問い直す
恐怖や痛みを無視して国家や集団の道具となることの代償を検証し、人間性を守るための言語化と連帯の必要性を説く
「ムっくりマン」問題に代表される期待の乖離や、自身の性的欲求を相手に伝える際の難しさ、そして相手への信用やシチュエーションが与える影響を紐解く
母性と性処理機という極端な二極化を指摘した田中み氏の議論をベースに、女性を縛る支配的な構造を考察しつつ、性の解放に向けた意識変革の在り方を探る
フリーセックスという言葉が持つ限界や属性によるレッテルからの脱却を論じ、個々が相互に解放を目指していくプロセスを見つめ直す
国家による性の管理が男性の罪悪感や身体への鈍感さにどう影響しているかを分析し、社会的な都合に抗いながらセルフケアや自己愛を取り戻す重要性を語る
自身の身体に対する鈍感さが社会全体にどのような影響を及ぼしているかを検討し、セルフラブの欠如がジェンダーの問題とどのように結びついているのか
フェミニズムの文脈における身体の物化について、AVにおける男性の描かれ方を例に議論を展開し、主体と客体の関係性がどのように揺らいでいるのか
脱毛という行為に潜む社会的なプレッシャーと企業の思惑を指摘し、フェムテックの普及が身体のケアにどのような変化をもたらすのか
男性器に対するコンプレックスや社会から求められるパフォーマンスの虚構性を批判的に捉え、AV的なセックス観がもたらす歪みを浮き彫りにする
セクシュアルプレジャー宣言の要旨に基づき個人の快楽と権利の定義について対話しながら、他者の権利を侵害しない健全な快楽の在り方を提示する
自身の経験に基づく「本当のセックス」という定義の押し付けに対する違和感を詳述し、身体の防御反応と純粋なプレジャーが混同されるメカニズムを解き明かす
若者の間で広がる首絞めプレイなどの過激な性行為を背景にリスク管理の重要性を論じ、メディアによってパッケージ化された性体験の危うさに警鐘を鳴らす
女性がセックスにおいて「演技」をしてしまう心理的な背景や社会的要因を考察し、日常における「察する」振る舞いが性愛の場にどう持ち込まれているのか
「一緒にオーガズムを迎える」という幻想を解体して個々の身体感覚への集中を提案し、お互いの快楽レベルをどのように伝え合い共有すべきかを考える
エミリー・ナゴスキーの知見から歴史的に作られた「正しい身体」の定義を問い直し、ありのままの身体と多様な快楽を受容する道を示す
社会的に正しい言葉と個人的な欲望との間にある深刻な乖離について語り、表現を削ぎ落としてきたリブの歩みを振り返りながらその葛藤に触れる
SMにおける合意形成と当事者性の重要性を個人の権利の観点から整理し、自らの快楽を認めることがいかにエンパワーメントにつながるのか
暴力性とセックス的コミュニケーションの境界線をエネルギーの交換という側面から議論し、ホモソーシャルな場における非性的な性的エネルギーの正体を突き止める
物語的な恋愛観や結婚への強制力を持つロマンティックラブ・イデオロギーを解体し、一人の相手に全てを託すことへの無理ゲー感と不安を考察する
繁殖可能な時期というタイムリミットへの葛藤とエイジズムの問題を紐解き、年齢によって性的価値が固定される観念に対しどのように抗うのか
パートナーシップと国家のあり方について期待と諦めが共存する心理状態から読み解き、コミュニケーションを通じていかに関係を再構築できるのか
「美しい国日本」という言葉に象徴される規範がどのように内面化され、それが男性に対する諦めや期待の裏返しとして現れるのかを詳述する
身体と肉体を切り離して捉える試みや、対話を通じて未知の自分自身と出会うプロセスに迫る
自己を卑下してしまう感覚から脱却し、人間として純粋に喜びを感じる権利を取り戻すことの重要性を探る
タブー視されがちな性を言語化することで得られるエンパワーメントと、安心できるコンフォートゾーンを確保する重要性を提示する
視聴者との信頼関係に基づく対話を通じ、社会的な抑圧から解放され連帯していくための展望を語る
- CHAPTER END